れげえぶろぐ

れげえの話

my母

みなさんにとって母親ってどんな存在なのだろう

めちゃめちゃ愛されていると感じさせてくれる母もいれば、背中で見せてくれる母もいれば、あなたに対して無関心に見える母もいれば、冷たい母もいると思う。

 

僕にとっての母さんは自分がどんなにバカなことをしていても

呆れながらも寛容に受け入れ, なんだかんだとびきりうまいご飯を出してくれる。

ざっくりそんな存在。

相談相手として将来の自分に関する悩みについて共有することはなくて、

そう言う類の話は家庭外の人にいつも自分のことは話していた。

 

家でも母との会話はそこまで多くない。

 

母ははっきり言って不器用だ。

僕もそれに似てすごく不器用。表に出さないように必死だけど 

 

母は自分の意見を相手に伝えることが苦手のようだ。

自分が感じていることや頭にある考えを言語化することはあまり得意でないと思う。

 

だから本心で僕に対して思っていることを滅多に話していない。

 

「いつも心配してるけど応援してるから」

とか

なんか他に思い浮かばないのだけれど愛が滲み出ているような言葉は言わない。

母ってそういうもの?他の母の息子になったことがないからわからないのだけれど。

 

その代わり

「冷蔵庫に肉じゃがある」「洗濯しといた」「新しい小物入れ買っといた」(要らないのに)

とかはたくさん言う

 

 

だから、”母の愛”的なものを直接的に感じることは日々の中であまりない

(僕が敏感に感じようとしていないのもあるのだけれど)

 

母は感情を表に出して物事を言わない。

いつも何か本当に伝えたいことを濁しながら話したり遠回しな表現を使うからどんな感情で話しているのか分析しないと多分わからない。

母の言葉って20年以上聞いてると慣れが生じるから重みがなくなってきて僕の脳がそんないちいち敏感に反応しなくなるとも思うし。

 

 

5/30のことだけど、洗面所で出かける準備をしながら

母に6月2日に引っ越すこと決まったことを伝えた。2週間前から家を出ていくこと自体は伝えていたんだけど。

 

実際の会話

母「もう今週の土曜日じゃないの」

自分「うん」

母「どこに」

自分「池袋の近辺」

母「お金は大丈夫なの」

自分「仕送りも要らない、自分で稼ぐよ。

家にいると甘えるしだらだらするから早くでていきたかった。楽しみ。」

いつも通り素っ気なく会話終了

 

部屋に戻ってパソコンをいじっていた

その5分後くらいにリビングの方からなにやら擦るような引きずるような奇妙な音が聞こえた

その物音は段々と大きくなり5秒もすれば何の音かはっきりわかるようになった。

 

 

母が泣いていた

必死でこらえながらも嗚咽を漏らしながら泣いていた

 

 

母が僕のために泣くのを見たのは人生で二回。

昨年自分が病気で死にかけた時、救急車で運ばれている僕を見ながら母は泣いていた。

その時母が自分のことをどれだけ心配してくれてるのかということに初めて気付かされた経験だった。

 

 

でも今回は去年と比べると全く別の意味の涙だ。

 

 自立して毎日過ごした家族の元を巣立っていくことは自分にとってはワクワクすることなのだけれど母にとっては相当ショックの大きい出来事なのだと思う。

 

 

吉江大という登場人物は母の人生で大きな存在の1人なのだなぁと心底思った。

 

 

母の泣いている声を忘れないように、静かに応援してくれている母のためにも

結果を出したいと思う。母の期待のために生きていくわけではないけれど、母のためにも必死に生きて必死に楽しんでるぜと知らせてただ、”安心”させたい。

 

本当に気持ちが1段階も2段階も引き締まった。

 

22年間の愛をあざす。静かに愛を注いでくれているということは知っているゼィ。

 

母にとって、

誇れる存在になれるように形にするために努力すること、

とにかく目の前のことを楽しむこと

これが今自分にできる親孝行だと思っている。

 

 

れげえ