れげえぶろぐ

れげえの話

アオイホノオ

青い炎を燃やすこと

 

が思いを形にするまでで、もっとも大切なこと。路上生活者の人々に対する思い、この問題を取り巻く全ての環境に対する疑問・憤り・哀しみをずっと細く持ち続けていくこと。これが僕にとって非常に大切なことだと最近確信した。

 

短期的に特定のことに強い関心をもち理解を深め、現場に足を運ぶことは誰でもやる。

 でもそれだけじゃ自分の中の思想はアップデートされて社会の見方が変わるだけ。社会の状況は何一つ変わっていないことがほとんど。 だから自分の情熱を燃やし続けるためには赤い短期的な炎ではなくて青く長い炎を燃やし続ける必要があると思っている。

 

今回のプロジェクトは路上生活者の人々と一緒に大好きなアートをメインに絡めて行うことができる。自分にとっては夢のような時間になるだろうと思う。

 

だから自分ができる最善の準備をして本番に挑みたいと思っている。

これは自分だけの思いが形にされるイベントではなくて、今まで僕に関わってくれた人の教え・思想・思いが融合されているものだと思っている。

だから、企画運営側のプロジェクトではなくて、数え切れないほど多くの人々の人生の結晶ができる。

そんな心持ちで準備を進めていきたい。

 

 

必ずアートで人々の生活に彩りを与えるんだ。

れげえ

周りに流されない

 

 

自分が周りと違う人生を歩みたいと考えているなら、周りの人とは違

うマインドで生きていく必要がある。

周りとは違うところに喜びを感じることが必要だ。

 

つまり、周りが飲み会で楽しんでいる時に自分は自分が好きなこと、l自分が目指しているところに対する行為で楽しんでいる必要がある。

 

自分が表現者になりたいならその表現活動を行う。

自分の喜びは他人の喜びと違うわけだから自分で喜びの場を作っていく。

 

待っていては誰も与えてくれない。

 

ありがちな喜びなら待っていても誰かが持って来てくれるかもしれないけど

自分の喜びが周りの大多数の人の喜びと異なる場合、

それはつまり自分でそのような場所に自ら足を運ぶか、

自分でそのような場をクリエイトしないといけない

 

 

自分で場を作れる人間になりたい

 

 

れげえ

 

 

 

 

路上生活者との音楽・ダンス・演劇フェスティバル ”12月”

ご無沙汰です

 

れげえです。

 

最近はれげえよりも歌詞のないchillstepなどにはまっている

 

現・元路上生活者の方々と音楽・ダンス・演劇のイベントを開催を企画している

 

8月頃からこの企画を考え始め、ようやくパフォーマー全員と繋がり、12月の開催に向けて動き始めた

 

オリンピックの催しでもパフォーマンスされた路上生活者によって構成されるダンスチームとも今回のイベントを一緒に行わさせていただくことになった

 

路上で約8年間生活・路上シンガーとして活動している方によるライブ

小さなギター1つでオリジナル曲からカバー曲まで幅広く弾き語りをする

こちらのパフォーマーの歌には現代の日本ではなかなか感じることのできない、心を動かす魅力がある。オーラがある

 

この方は世界中をストリートパフォーマンスで回って生きてきた人だ。色々なバーやお店でパフォーマーとして生きてきた

 

きっと心を動かされるだろう

 

 

 

 

元・現路上生活者と、演劇女優による、約15分のショー

 

路上生活者の生活の1ページを、感情を交えて、深く、スローに、表現する。

 

 

 

 

アートの力で路上生活者と何か今までにない空間と時間を作り出すことに、心が踊っている

 

今回はクラウドファンディングを活用してイベントにかかるコスト・パフォーマーへの収入を集める

 

 

アートに酔いしれましょう

 

 

れげえ

 

 

 

 

 

 

”新宿”

新宿駅

 

ー先日、新宿駅で路上で人生を過ごしている人たちを訪れたー

 

路上生活者支援の団体が行なっている訪問活動に参加。

モノをあげるのが目的ではなく、定期的に路上生活者と話すことで、彼らが行政やNPO団体の支援が必要になった時にすぐに頼ってもらえるような関係性をつくることが大きな目的。

また、あなたを思っている人が世の中にいる、ということを伝えることもすごく意義のある活動目的の一つ。

誰からも見られていない、誰からも必要とされていないと感じることは生きる意味を失うことにつながってくる。人間を拒む人も中にはいるけれど、大半の人は人なしで生きれないから。

人に愛され、人に必要とされることで人は幸せと生きる意味を持つと思っている。

 

 

ー活動

決まったルート内で路上生活をしている人たちに片っ端らから声をかけていく。

普段は全く目にも止まらない路上生活者の姿が次々と目に入ってくる。

 

話してかけるとみんな最初は驚いた反応するのだけれどすぐに話してくれる人が大半。

たまに完全に話しかけNGな人もいる。様々な過去から極度の人間不信になっている人も多いように見える。

 

 

たくさん活動に参加しているわけではないけれど、大事なことはこちらからオープンになること・こちらが殻をまず作らないことだと思っている。

 

つまり、お固いキャラで  THE 支援者です、あなたは困ってそうなので助けますよ。という雰囲気で話しかけないこと。

相手がそれで応じる人ならいいのだけれど、そうでない人も多い。

非支援者が生活保護や他者からの手を拒むのは支援サービスの価値をしっかりと理解できていなかったり、自分が搾取されると思い込んでいたり、ひどい扱いを受けると重持っていたり、過去に裏切られた経験があり人を信用できていないからというケースなど多様。

 

ファーストインプレッションはとても大事でそこからその人とどんな関係性を作っていけるかが大きく左右されると思っている。

なぜかというと、こちらからオープンになるとあちらも面白がって話してくれるから。

 

自分が乱用しているフレーズは”僕、学生なんすけど、調子どうっすか!?” 

と俺はただの若造で何も利害関係はないぞ!ということを前面に押し出す。

そうすることで相手はこちらをまず怪しい者だとは思わない。と勝手に思っている。笑 

 

もっと具体的なコツを説明すると、高校の体育部活生のような口調とキャラでせめること。相手は、可愛いやっちゃなこいつ、暇つぶしでもしたろうかと思ってくれる。と勝手に仮説を持っている。

ちなみにどのスポーツの部活かという設定はどうでもいい。ちなみに俺はサッカー部だったので高校の頃の先輩と仲良くなるようなイメージで話している気がする。

 

まだ試行錯誤なので、もっとノウハウを蓄積していきたい、参考書的なの作る。笑

 

 

何はともあれ、当事者の方とただただ友達になること。これが自分が思う最善の方法だと思う。これができないとそもそも相手は聞く耳を持たなかったり、こちらを怪しがったり

友達になれないなら相手は自分のことなんて話したくないだろうしましてや

過去の誇れるような話でない場合はなおさら話してくれない。

 

まずは友達になることを第一目標とすること。情けの気持ちを持って声をかけない。情けの思いを持ちながら話してもそれは支援者と非支援者の立場を作っているだけだからだ。

  

ー今日の出会った人の話ー

 

緑内障白内障と糖尿病を持っている、人生に希望を失っているおじさん

 

JR改札近くで発見したおじさん。

座り込んでいて、調子はどうか尋ねたところがっかりしていると話していた。目が病気で病院に行ったそうだが、医者からは悪化しないように気をつけましょうと言われただけだったらしい。

片目がもう見えず、もう片方の目もどんどん視力が落ちているという。白内障緑内障の両方を持っている方だった。このままじゃ失明するらしい。

手術は受けたのかと聞くと受けたけれど治らなかったと話していた。

そのあと、おじさんは呆れて笑いながら、

俺なんか死んだ方がマシだと呟いていた。目は悪いし体は悪いし年は行ってるし、生きている意味がねえよ。と。

なってみねーとわかんねーよ。

死んだ方がマシだと。

 

完全に閉口した。

 

そんな言葉が口から出てしまう世の中を作っている俺たちは何なのか。

 

そんな言葉はどこかの映画やどこかの記事で見たこと聞いたことはあったけど、

直接聞きたくなかった。そんな言葉はこの世から消えてしまえばいい。そう思った。

 

 

でも、これが先進国日本で実際に外の世界で家を持たず、家族を持たず、

生きている人たちの事実なわけで

 

衝撃と共に、ただ俺は悲しくなった。

そこで悲しさが込み上げてこないほど、言葉を失わないほど、俺はまだ強くない。

 

 

でも同時にそこで俺も倒れてはいけないと思った。強くなりたいと思った。

同情することは大切なんだけど、目の前で困窮している人の状況を少しでも変えるためには、その人の人生の角度を少しでも変えるためには、

俺が強くならないといけない。そう感じた。

 

無力感は感じるし、半端なく同情する。

でも俺は倒れたくないし、この人の状況をどうにかしたいと思ってしまう。そんな自分がいる。

経済的には独立しても、自分の人生もしっかり確立できていない自分が、人の人生に顔突っ込んでどうにかしたいなんて何をいうとるんやという感じだ。

 

でもおじさんは助かりたいという意志を持っていると思う。

 

だって自分から医者にかかっているのだから。

死にたいと思いながらもやはり頭の中では、本能では死にたくないと、思っているはず。

死にたくても死ぬ勇気がないのかもしれない。

 

でも俺がその人の眼差しと言葉から感じたことは”生きたい”という意志だった。この直感が思い込みかもしれないから定期的に彼を訪れて話していきたいと思う。

 

 

 

恥ずかしながら、俺はこの文章を書きながら泣いていた。おっちゃんの想いを感じながら、ボロボロしてた。

 

こんな死に近い現場に最近までいたことがなかったから、みたもの聞いたことが衝撃的すぎて、頭の理解が追いついていないというのは現状。

 

 

でも発信し続けたいと思う。関わっているものとして、普段は混じり得ることのない人たちにも

日本で同じ時を生きている人々の実情を、この姿を、思いを、苦しさを、でもその中にある小さな幸せや楽しさ、明るい部分を伝えていきたい。

 

絶望している人もいれば、

反対に驚くように明るい人も話好きでめギャグ線高めの人もいる。そこはいい意味でのギャップで、最初に路上生活者支援活動に参加するときに運が悪くなければ感じることであると思う。

それだけたくましく明るく生きている人がたくさんいた。エネルギッシュでいろんな情報を仕入れて物知りな人がいる。

かなり裕福な生活とどん底の生活の両方を味わった人もいる。人生の中で様々な悲劇が起き後天的にしょうがいをもち路上にでた人がいる。

犯罪を犯して刑務所から出所して仕事が見つからずに路上に出た人がいる。

体を怪我して仕事を失った人がいる。家族から虐待を受けて逃げてきたひとがいる。

ギャンブル中毒で破産した人がいる。

 

 

でも俺の考えでは、その失敗をしたから人生にもう二度と挑戦できないなんておかしいと思う。一度どん底になったからともう二度と希望を持つことすらできない社会なんて俺はいやだ。

だから自己満足でもなんでもいい、俺は実現したい社会の像に向かって走る。

 

絶望を希望に共に変える。俺はそんなパートナーの存在になっていきたい。

 

絶望は希望に変えることができるのだと発信していきたい。

 

 

絶望は大きなポテンシャルである。大きな希望である。

 

そう思いたい。

 

 

 

 

共感を持てたり、いやこいつの考えとは違うけど、まあなんかおもしろみを見出して頂けたら是非ともシェアの方もお願いします。

 

 

もれなく吉江から愛の糸電話がかかってくるかと思います。

 

さあ今日も心震わす時間過ごしマッコリ飲みたい。

 

 

 

my母

みなさんにとって母親ってどんな存在なのだろう

めちゃめちゃ愛されていると感じさせてくれる母もいれば、背中で見せてくれる母もいれば、あなたに対して無関心に見える母もいれば、冷たい母もいると思う。

 

僕にとっての母さんは自分がどんなにバカなことをしていても

呆れながらも寛容に受け入れ, なんだかんだとびきりうまいご飯を出してくれる。

ざっくりそんな存在。

相談相手として将来の自分に関する悩みについて共有することはなくて、

そう言う類の話は家庭外の人にいつも自分のことは話していた。

 

家でも母との会話はそこまで多くない。

 

母ははっきり言って不器用だ。

僕もそれに似てすごく不器用。表に出さないように必死だけど 

 

母は自分の意見を相手に伝えることが苦手のようだ。

自分が感じていることや頭にある考えを言語化することはあまり得意でないと思う。

 

だから本心で僕に対して思っていることを滅多に話していない。

 

「いつも心配してるけど応援してるから」

とか

なんか他に思い浮かばないのだけれど愛が滲み出ているような言葉は言わない。

母ってそういうもの?他の母の息子になったことがないからわからないのだけれど。

 

その代わり

「冷蔵庫に肉じゃがある」「洗濯しといた」「新しい小物入れ買っといた」(要らないのに)

とかはたくさん言う

 

 

だから、”母の愛”的なものを直接的に感じることは日々の中であまりない

(僕が敏感に感じようとしていないのもあるのだけれど)

 

母は感情を表に出して物事を言わない。

いつも何か本当に伝えたいことを濁しながら話したり遠回しな表現を使うからどんな感情で話しているのか分析しないと多分わからない。

母の言葉って20年以上聞いてると慣れが生じるから重みがなくなってきて僕の脳がそんないちいち敏感に反応しなくなるとも思うし。

 

 

5/30のことだけど、洗面所で出かける準備をしながら

母に6月2日に引っ越すこと決まったことを伝えた。2週間前から家を出ていくこと自体は伝えていたんだけど。

 

実際の会話

母「もう今週の土曜日じゃないの」

自分「うん」

母「どこに」

自分「池袋の近辺」

母「お金は大丈夫なの」

自分「仕送りも要らない、自分で稼ぐよ。

家にいると甘えるしだらだらするから早くでていきたかった。楽しみ。」

いつも通り素っ気なく会話終了

 

部屋に戻ってパソコンをいじっていた

その5分後くらいにリビングの方からなにやら擦るような引きずるような奇妙な音が聞こえた

その物音は段々と大きくなり5秒もすれば何の音かはっきりわかるようになった。

 

 

母が泣いていた

必死でこらえながらも嗚咽を漏らしながら泣いていた

 

 

母が僕のために泣くのを見たのは人生で二回。

昨年自分が病気で死にかけた時、救急車で運ばれている僕を見ながら母は泣いていた。

その時母が自分のことをどれだけ心配してくれてるのかということに初めて気付かされた経験だった。

 

 

でも今回は去年と比べると全く別の意味の涙だ。

 

 自立して毎日過ごした家族の元を巣立っていくことは自分にとってはワクワクすることなのだけれど母にとっては相当ショックの大きい出来事なのだと思う。

 

 

吉江大という登場人物は母の人生で大きな存在の1人なのだなぁと心底思った。

 

 

母の泣いている声を忘れないように、静かに応援してくれている母のためにも

結果を出したいと思う。母の期待のために生きていくわけではないけれど、母のためにも必死に生きて必死に楽しんでるぜと知らせてただ、”安心”させたい。

 

本当に気持ちが1段階も2段階も引き締まった。

 

22年間の愛をあざす。静かに愛を注いでくれているということは知っているゼィ。

 

母にとって、

誇れる存在になれるように形にするために努力すること、

とにかく目の前のことを楽しむこと

これが今自分にできる親孝行だと思っている。

 

 

れげえ

 

れげえの挑戦 ”2食生活”

 日本は「廃棄大国」と言われる。

わが国の年間の食品ロス(まだ食べられるけど捨てられる食品)の量は642万トンであるらしい。この量は世界全体の食料援助量約320万トンの約2倍に相当するとのこと。

 

実に、半端ない。勿体無いぜ日本。

 

マータイさんが泣くぜ。

 

 

”腹が減った”

 

僕はいつもそんな欲求をもっている。

 

朝食を食べたら2時間後には何か食べたくなっている。

非常にコスパが悪い人間なのだ。

 

何故なのだろうか。

脳に糖分がいってないと思うとその思考に連携してすぐに集中力が欠如してくるのを実感する。

 

だけどこの欲求を疑問視するスタンスに変わってきた。

人間は思い込みの動物なのだと思ってきた。

腹が減っていると感じているのは実は”フェイク”で、22年生きてきて染み付いた欲求。それは実は今までの生活で知らず知らずのうちに作られた思い込みかもしれないと。

 

もしかしたら世界の食品業界が裏で手を引いて長い時間をかけてすぐに腹が減るような体に変えていったのかもしれない。

食品業界や飲食業界は人がたくさん食べないと儲からないし。

 

誰が3食食べようって決めたんだろうか。

いつから3食食べるようになったのか。人間って3食も食べる必要あるのか。

そんな疑問視しなくていいことに疑問を持つようになった。

 

 

ここで僕は人生初の挑戦をしたい

 

”2食生活”だ

 

 

いつから我々人間は3食食べるようになったのか

人類が地球に誕生してからずっとだったとは思えない。

そこで調べてみると、案外最近まで日本人は2食しか取っていなかったらしい

江戸時代はたったの一日二食が主流だった。

もともと公家の世界では、朝食をお昼くらいに、夕食を夕方4時頃にとっていた。また庶民も、朝早くから起きてひと仕事終えたあとに朝飯を食べ、仕事の合間に遅い昼飯を食べていた。時間帯こそ違うが、身分の上下に関係なく、等しく2食だった。

物流がよくなったおかげで、照明用の菜種油も広く出回るようになり、起きている時間が長くなったというのも、1日3食となった一因だとか。

夜なべ仕事や夜遊びなどもできるようになった。となると当然、寝るのが遅くなり、1日の稼働時間も増えるので、やはり1日2食ではもたない。そこで朝・昼・晩と3食とるようになった、というわけなのだ。

 

納得。

 

僕たちの先祖は二食で生活してた。夜の活動が少し長くなったとはいえ、僕たちにもできることだ。挑戦してみよう。

でも食べないことでどんなメリットがあるのか。実際に検証していきたい。

現時点でのメリットになるかなと思うのは

節約・毎日外食ランチは勿体無い・食後の睡魔との戦い・消化器官を休めることができる・空腹で集中力や思考が研ぎ澄まされて行く・ハングリーな状態なので、自分にストイックになれる

その他にも多くのメリットがあると思う、逆に空腹からくるデメリットも探して生きた。

 

 

実際に今日から検証してみたいと思う。新しい挑戦には、ワクワクする。

 

今日は昼に神奈川は湘南にて無農薬・無肥料の野菜栽培を行なっている方とお会いする約束をしているので朝ごはんを食べずに行く。

 

新たなれげえの挑戦の結果を楽しみに待っていてほしい。

 

誰か待ってくれている人がいるのであれば。笑

 

 

レゲエだい

kakugoの作られ方

覚悟

がいる局面が人生にはある

 

学生であれば大半の人は就職活動とやらで自分のkakugoを決めなくちゃならない。

 

どの道で食ってくのか。どう家族を養ってくのか。

人生で成し遂げたい夢に向かって進むのか。はたまたハイリスクは取らず労働していれば収入が安定して入ってくる選択肢をとるか。

 

 

僕はこれまでいつも”kakugo”という名が言葉が自分の中に生まれないか待っていた。

覚悟がない日々はつまらないと思っていたから。非常に、悶々としていた。

覚悟が生まれるのは何か大きな選択をする時かと思っていた。それが一般的に言われる覚悟だと思い込んでいたから。

大きな選択を意図的にすればいいのか、と短絡的に考えていた。

 

でも大きな選択をすること自体に覚悟が必要だから、大きなきっかけやライフイベントが起こらないと人はまず重たい腰をあげたがらない。

 

僕のこれまでの人生は、どんどん行動して形にして面白そうなことしてる人の結果や努力を見ては、自分もあいつくらい熱くなりたい、、。と羨望の眼差しで眺めていただけだった。

例えばfacebookの投稿とかで”今年は飛躍の一年で、予想もしていない場所までたどり着くことができました!みなさんのお陰です!これからも私の成長に乞うご期待あれぇえ!”みたいなのを見て俺もそんなこと言いてえ、、。いつかあいつみたいな人生を生きる!と意気込んでいた。

 

でもそんな想いは行動に変わらなかった

FUTSUUUUUUUUの大学生活を謳歌してた。

普通の大学生活が悪いというわけではなくて、僕自身がどうせ生きるならこの時間のある時に面白く生きていきたいと思っていただけであった

 

 

話は飛躍するが、

最近ようやく覚悟ができた。

 

覚悟ができたというよりは小さくて自信のない覚悟が行動を続けることで

大きく強い覚悟に変わっていった。

いつしか覚悟は自分の中でエネルギーの源泉となってあなたをドライヴする。

 

ぐうたらしなくなる。

だらしなくなくなる。

しゃんとする。

毎日にハリが出てくる。

 

一度この感覚を手に入れたらもうそのあとは走り続けるだけ。

目標に向かってマイルストーンを置いて、いろんな人にあって考えまくって、

走り続けるだけだ。

 

その流れに乗ればあとは形になるのも時間の問題なのではないだろうか。

 

だから僕もどんどん覚悟が大きく強くなることを感じている。覚悟が大きくなってくると恐れを小さく感じ、何か自分に大きな可能性を感じることができる。

行動も必然的に多くなる。

 

どんどん動きまくって覚悟を大きくしてまた行動をして。

覚悟と一緒に成長していきたいと思う。

 

れげえ